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感動ドラマ お涙頂戴で終わらせない絶対条件 

こんにちは。サロンの吉野です。
昨日はレンタルしてきた映画を観ました。2013年の韓国映画で、『七番房の奇跡』という作品です。
ストーリーの内容です。
父と娘の物語なのですが、父には6歳児程度の知能しかない障害があり、幼い娘と二人で暮らしています。
そんな中、父親が別の幼女を強制猥褻の上に殺害した疑いで逮捕、起訴され、刑務所に収監されます。
被害者とされる幼女は、実は事故死で、父親は無罪でした。
彼女を蘇生されるために行っていた措置が強制猥褻ととられてしまったのです。
警察は、被害者の幼女が、当時の警察庁長官の娘であったことから、とにかく犯人を捕まえなければならないというプレッシャーから、無罪の主人公である父親を誤認逮捕してしまったのです。

※ここからネタバレになりますので、先を知りたくないという方は、映画をご覧になってからお読みください。

父親は刑務所で知り合った仲間の協力で、娘と再会できるようになりますが、裁判で死刑判決が下ります。
知的障害のある主人公の父親は、罪を認めないと、可愛い娘に害が及ぶと思い込んで、幼女殺害の罪を認め、死刑になってしまいます。
そして、成人した娘は弁護士になり、亡き父親の冤罪を晴らしていく……という話でした。


泣ける要素は十分なのに何故か泣けない原因
韓国映画らしい情に訴えるシーン満載で、役者さん、特に娘役の女の子が滅茶苦茶可愛くて、泣かせる要素は十分にあるのですが、私は泣ききれませんでした……。
その原因は、私が元から冷めた人間だということもありますし、シナリオを多少齧っているということもあるかと思います。
何でもかんでも泣けるという人は、この映画でも十分に泣けると思います。
ただ、私も含めて、シナリオを勉強されている方は、もう少し上手に泣かせる方法はあるんじゃないの……?と疑う余地があったほうが良いのではないかと思うのです。
私の観るところ、『七番房の奇跡』という映画は、いわゆるお涙頂戴もので終わっている印象が拭えませんでした。


お涙頂戴で終わらせない条件
私がこの映画で泣ききれなかった原因は何故なのか?を分析しますと、それは主人公が遭遇する不運が、非常に〈個人的〉な不運であって、この不運、不幸は立場を変えて見れば防げる不運、不幸ではないか……と思われる点です。
この『七番房の奇跡』のDVDのケースに書かれていた帯に、「『I
am sam』や『ライフ イズ ビューティフル』に代表される父と娘の物語……」とあり、まさに両作を混ぜ合わせたような映画でした。
ただ、私は『I am sam』には、あまり理解ができませんでしたが、『ライフ イズ ビューティフル』には深い感動を覚えた記憶があります。
それは主人公と息子が遭遇する不運、不幸が〈個人的〉ものによるのでなく、ナチスによるユダヤ人弾圧という極めて〈社会的〉な不運、不幸だったからです。
つまり「一歩間違えば、自分の身に降りかかってくるかもしれない……」と思える不運と、「結局、他人事じゃない……」と思えてしまう不運では、観ている者の感情移入の度合いが違うんじゃないかと思うのです。
そこには、いつも私が申し上げています『ドラマにおける社会性』があります。
『社会性』のあるドラマには、立場を変えて……などという言い訳は通用しません。その分、多くの人々の心を掴めるのです。


今回、例に挙げました『七番房の奇跡』、『I am sam』、『ライフ
 イズ ビューティフル』を、もしもご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、是非とも比較研究していただけると、私が申し上げている意味の理解が、より深く進むのではないかと思います。



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