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奇妙な物語を奇妙だけで終わらせない

こんにちは。サロンの吉野です。
昨日はゼミがありました。
テレ朝のお題、サスペンスを中心に、会員の方の興味深い発表がありました。
その中には、人の死生観をテーマにしたものがあったり、世の中の理不尽について、深く切り込んだ発表がありました。
今回は理不尽で尚且つ奇妙な物語を書こうとされている会員さんの作品についてお話していきたいと思います。


理不尽…だけではドラマは締まらない。奇妙……だけでは視聴者はカタルシスを得られない
フジテレビで長く定期的に放送されているドラマに、『世にも奇妙な物語』というものがあります。
人気シリーズですので、好きな人も結構多いのではないかと思います。
ただ、個人的なお話をさせていただくと、私はこのシリーズがあまり好きではありません。
その理由は、見終わた後に「なるほど、奇妙な話だね……」で、まさに終わってしまっている点にあるのです。
要するに、奇妙な話を奇妙だけで終わらせているだけで、「結局、何の話だったの?」という思いしか残らない……。
つまりドラマとしてのカタルシスを全く感じられない点に、不満が残るのです。
制作者サイドからすれば、「理屈は要らない……。とにかく奇妙の切れ味で面白く観てくれればそれで良い」というスタンスではないかと思います。
確かに初めにも申し上げたように、長く放送されている人気シリーズですし、多くのファンがいる作品でもあるので、このドラマはこれで良いと思います。
ただ、他局のコンクールに応募する際は、「ああ、奇妙な話だね」だけで終わらせてしまっては、まず良い成績を残すのは難しいのではないでしょうか。
これは「奇妙」にとどまらず、「理不尽」な話にも同じことが言えると思います。
それはドラマとは主人公の成長変化を描くものであり、それを観客、視聴者は期待しながら観ている。
そして、期待通りに描かれていることに、カタルシス(快感)を覚えるからです。
つまり本来のドラマは、「あれっ? これで終わり?」ではダメなのです。
そこに深い共感や作者のテーマが透けて見えてこなければならないと思うのです。


現実は理不尽で奇妙なことばかり……
ただ、現実の社会は理不尽なことが、当たり前のように起こっています。
また、奇妙な話も奇妙なまま解決されないことが多いのではないでしょうか。
だからこそフィクションである物語では、理不尽を理不尽なまま終わらせない、奇妙な話を奇妙だね、だけで片づけないことが必要になってくるのです。
何故ならば、世知辛い現実社会に一服の清涼剤を投与することが、ドラマに求められている最大の使命だからです。



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