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2019年7月クール連ドラ鑑賞日記1 ストーリーの縦軸と横軸のバランスのあり方について

こんにちは。サロンの吉野です。
私は仕事柄、連ドラの第1話は極力観ているようにしています。
今週から7月期クールのドラマがスタートしました。
まずは日曜日のTBS『ノーサイド・ゲーム』から観る予定でしたが、うっかりとオンエア、録画ともに忘れてしまい、拝見することができませんでした。
従いまして、今クールは、昨晩始まったフジテレビ『監察医 朝顔』から観ることになりました。


さらに変わっていく月9ドラマ
フジテレビが月9ドラマの仕様を大きく転換させて久しくなりましたが、今回の『監察医 朝顔』は転換後のどの作品にも増し、ヒューマニズム溢れる物語で、かつての若者のラブストーリーを主流にしていた「月9」とは思えないような作品です。
月9の枠で、父と娘の物語をやるのも、ある意味異例ですし、その親子が震災の被害者であり、大切な人を失っている……という設定も、月9ドラマではなかった重いテーストの話だと思います。
好き嫌いでいうと、私はこの手の人間ドラマっぽい作品は、大好きの部類に入ります。
ただ、他局もそうなのですが、相変わらず監察医とか法医学教室とかが、どうしてこうも多いのかという疑問は残りました。
他の局がやるんであれば、自分のところは全く違うものをやれば良いのに……と思うのは私だけなのでしょうか?
それはさておきこのドラマは、現在視聴率を最も稼げる「医者もの」と「刑事もの」の両方を備えた設定であることが、企画が通った最大の理由であることは間違いないと思います。
前置きが長くなってしまいましたが、今回の記事で皆さんにお話したいと思っているのは、「ストーリーの縦軸と横軸のバランス」のあり方についてです。
昨晩拝見しました『監察医 朝顔』は、その縦軸と横軸がはっきりしている作品になりますので、参考になるかと思います。



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同時進行で進むべきである縦軸のストーリーと横軸のストーリー
『監察医 朝顔』は漫画の原作がある作品ということですが、原作漫画を私は読んでいません。
したがって、原作の構成やストーリー展開は全くわかりませんので、今回書かせていただく内容は、あくまでも昨晩のドラマを観た感想になりますので、その点はご了承いただきたいと思います。


ドラマ『監察医 朝顔』の初回を観た感想としては、やはり一話完結の事件追いがドラマの主流になっているのだな、と思いました。
その点に関しては、他局がやっている医者もの、刑事ものと、その手法に大差はないように感じました。
ただ一点少し様相が違うのは、震災という非常に社会性の高いエピソードを主人公たちの身近に置いたことです。
どんなドラマにも大なり小なり「縦軸のストーリー」と「横軸のストーリー」があります。
『監察医 朝顔』でいうと、主人公たちが医者、刑事として立ち向かう事件が「縦軸のストーリー」を形成しているものになります。
そして、主人公たちがプライベートに戻ったとき、すなわち震災に関連するエピソードが「横軸のストーリー」を形成してものといえるでしょう。
昨晩の初回を観た限りですが、ややこの「縦軸のストーリー」と「横軸のストーリー」のバランスが悪いのかな……という印象を持ちました。
私がバランスが悪いと思ったのは、「縦軸のストーリー」と「横軸のストーリー」が、さも別々の話のように、分離されているように見えてしまったからです。
それは同時進行で進めなければならない両方のストーリーを、時間的にはっきりと区分けして処理している点にあるのではないかと思うのです。

 
横軸ストーリーは単なる主人公たちの背景ではない 
最近の一話完結の連ドラ、特に医者ものと刑事ものでありがちなのは、主人公たちのキャラクターの紹介をそこそこにして、すぐに事件を追いかけてしまうことです。
昨晩の『監察医 朝顔』も例に漏れませんでした。
ただ、先ほども申し上げたように、この作品の最大の売りは、震災の被害者家族の再生にあるのだと思います。
その大事な部分を延長時間枠の残り10分強で、付け足したように、さっさと描いてしまって良いのでしょうか?
父はおそらく震災以前から刑事、警察官だったと思いますが、主人公の娘は、震災が監察医になる最大のきっかけ、理由になったのではないかと思うのです。
それならば、冒頭で震災を描いてドラマに入るのが、最も効果的だと思いますし、監察医として事件に立ち向かう場面でも、折に触れて主人公の震災で受けた心の傷を描くべきだと思います。
ところがそうはなりませんでした……。


他局の一話完結ドラマに慣れきっている視聴者に配慮してのことか?
これはあくまでも私の考え、私見です。
今回の『監察医 朝顔』初回の構成は、医者もの、刑事もので視聴率競争に先行している他局のやり方を、ただ単に踏襲しているだけに思えました。
それがあることで、大事な「横軸のストーリー」が、一番最後に取って付けたようなものに見えたのです。
繰り返しになりますが、私はこの作品の売りは、『震災被害者の家族の物語』だと思います。
そこに重点を置かずにして何になるのでしょうか?
他局の視聴率が良いからといって、その真似ばかりして何になるのか?と思います。
私は漫画原作があるとはいえ、このドラマに期待していました。
残念ながら、昨晩の第1話は若干裏切られた感がありました。
ただ、第2話も期待して観たいと思いますし、「第1話の構成は実はこういうことだんだ!」と良い意味での裏切りがあるのを、こちらも期待しています。
制作者の方には、目先の視聴率にとらわれずに、真に心に残るドラマを創っていただくことを、切に願っています。



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シナリオ発想法5 違和感の無いアイデアの組み合わせ方

こんにちは。サロンの吉野です。
前回は使い古されたネタ、アイデアをアレンジするには、どうしたら良いのか?ということでお話を進めました。
その方法の一つとして、「既存のアイデア(作品の)と既存のアイデア(作品の)の組み合わせ」を行うことが有効であるということを述べました。
ただ、組み合わせに工夫が必要であることも、併せてお話しています。


既存の作品が何なのかがが、すぐに分かってしまうのはダメ
つまりどういうことかと申しますと、例え良いアイデアと良いアイデアを組み合わせたとしても、そこに作品としての違和感が発生すれば、かえって逆効果になることがあるからです。
一番組み合わせの仕方で問題なのは、何と何を組み合わせたのかが、視聴者、観客に、すぐにバレてしまうケースです。
いわゆる「×と×を足して2で割ったような話……」と言われてしまうようなアイデアの考え方です。
組み合わせの仕方で一番大切なことは、「既存(元の)の作品が何であるのか?」を分かりにくくすることです。
これとこれを足したんだ、などとすぐに分かってしまう組み合わせでは、上手い組み合わせとは言えません。
その解決方法の一つが、3つ以上の既存アイデアを組み合わせることです。


巧みな組み合わせは、元作品が何であるのか分からないくらい上手く掛け合わせている
例えば、新海誠監督で大ヒットしたアニメ映画『君の名は』は、片手では足りないくらいの既存の作品のアイデアを組み合わせています。
あまりにもたくさん既存のアイデアを使っているので、元が何だか分からなくなってしまうくらいです。
こうした作品のように、巧みに複数のアイデアを組み合わせていけば、「全く新しい作品」として認知されることがあり、元のアイデア云々……などの批判を浴びることも防げるのではないでしょうか。


いずれにしても、前回にもお話したように、上手い組み合わせの仕方をするには、なるべく多くの既存の作品を鑑賞し、勉強していくことが、何よりも大切なことだと思います。




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使い古されたネタは、どうアレンジすれば良いのか?

こんにちは。サロンの吉野です。
昨日はゼミがありました。
6月末締め切りのコンクールも終わり、ホッとされている方もいらっしゃいましたが、早速次のターゲットに向けて始動している方もあり、昨日はそんな方々の発表がありました。


どこかで観た聞いた話……
ターゲットにしているコンクール名やそのネタの詳細については、いつもようにお話できません。 
ただ、このブログをお読みいただいている方は、以下のような話をどこがで観た、あるいは聞いたことがありませんでしょうか?


「自分自身を身体をミクロ化して、他人の身体の中に入り込む」


いかがでしょうか?
もしも観たことも、聞いたことも無いと断言されるような人がいれば、大変恐縮ですが、勉強不足だと思います。


実は昨日のゼミで、上記のアイデアが核になっている100文字ストーリーの発表があったのです。
先ほどコンクールのネタなので、詳しいことは話せないと申し上げましたが、上記のアイデア?は、いわゆる使い古されたものですので、新しいアイデアとしての価値がほとんど無いということで、例として記しました。
例に上げたアイデアが入っている作品として、代表的なものが『ミクロの決死圏』(1966年アメリカ)
という映画があります。
おそらくどこかで観たこと、聞いたことがあるとおっしゃっている方は、この作品、もしくはこの作品にインスパイアされた他の作品のことをおっしゃっているのだろうと思います。
それだけこの作品のインパクトは強烈なものがありました。


簡単なあらすじを申し上げます。
東西冷戦の中、西側、東側ともに物のサイズをミクロ化することに成功しますが、ミクロ化できる時間は1時間に限られていました。
ところが東側の研究者は、その時間制限を打ち破る研究を完成させます。
西側、つまりアメリカは、その研究者の亡命を画策しますが、東側の襲撃が原因で、研究者は脳出血を起こしてしまう自体になってしまいます。
とにかくその研究者の命と研究成果を守らなければならないということで、アメリカ側は、1時間という時間制限の中、医師チームをミクロ化して、研究者の身体(血管)に入って治療する……という話です。


つまり昨日のゼミでの発表は、『ミクロの決死圏』のアイデアそのままといっても良いくらい踏襲してしまっているのです。
ただ、発表された方は、まだ30代前半の人ですので、当然、リアルタイムで『ミクロの決死圏』を観ていることはないはずです。
直接ご本人に聞いても同じ答えでした。
このように自分では新しいアイデアだと思って発表したものが、どこかでやられているのでは?……という批評、批判を受けてしまうことは、その発表をされた方に限らず、誰にでもあることだと思います。
それだけあらゆる創作は、既に「やりつくされている……。使い古されている……」ものが多いということです。
それだけは、どうすれば新しいアイデアを生み出すことができるのでしょうか?



既存の作品と既存の作品の組み合わせ
基本的に全く新しいアイデアというものは既に無い!とおっしゃる学者さんもいます。
その学者さん曰く、全く新しいアイデアを生むのは難しいが、既存のアイデアと既存のアイデアを「組み合わせ」ていけば、新しいアイデアとして認知されてことがある……ということです。
つまり組み合わせが大切だということですが、組み合わせの仕方にも工夫が必要になってくると思います。
組み合わせの仕方については、今後もサロンゼミの主要なテーマとして議論を闘わせていくつもりです。
こうした組み合わせの利点を生かすためにも、創作を志されている方は、出来る限り既存の作品を知る、勉強することが大事ではないかと思います。



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