シナリオコンクール対策の創作交流サークル「サロン」

シナリオコンクール対策の創作交流サークル「サロン」は、シナリオ公募コンクール受賞のためのノウハウを徹底的に追求していく唯一無二のサークルです。

ストーリーの構図が普遍的であればあるほど、その中に何らかの新しい要素を入れなければならない

こんにちは。サロンの吉野です。
新型コロナ感染予防の観点から、現在ゼミナールを休講していますが、その間、熱心な会員の方々からは、三行ストーリーやあらすじを、私宛にどんどん送ってきてくださいます。
送ってくだった三行ストーリーの中に、このブログでも以前から繰り返し述べています『不易流行』という言葉を強く意識させられるものがありました。

『不易流行』とは、蕉風俳諧(松尾芭蕉が確立した俳諧)の理念の一つで、いつまでも変わらない普遍的なものを忘れない一方、その中に新しい変化を積極的に取り入れていく、というような意味になると思います。
つまり物語(ストーリー)で言えば、よくあるような構図の話の中に、今までに無い新しい要素を取り入れていく!ということになります。

その送っていただいた三行ストーリーの普遍的な構図とは、このような内容でした。
「知り合った人に対して、ひょんなことから自分の身分、立場、境遇を偽らざるを得なかった人物が、その人との付き合いが深くなればなるほど、本当の自分はどういう人間なのか言えなくなってしまう……」
という構図の話です。
皆さん、どこかで見た話だと思いますよね。
この構図の代表的な作品としては、チャップリンの『街の灯』などがあります。
『街の灯』は、盲目の花売りの女性に一目惚れした浮浪者(チャップリン)は、彼女が落とした花を拾ってあげますが、彼女はその浮浪者を大金持ちと勘違いしてしまったことから、本当の自分がどういう人間なのかを言えなくなってしまう、という話です。
こういったエピソードは、物語(ストーリー)じゃなくても、よくある人間臭い話と言えるでしょう。
ゆえに普遍的なエピソード、話と言えるのです。

ただ、この普遍的な設定の話を、新鮮なもの変えていかなければ、それこそ「どこかで見たような話……」という謗りを受けてしまいます。
例えば、偽らざるを得なかった人物の「身分」や「立場」、「境遇」に、今までには無い全く新しい身分、立場を考えたり、その人物と知り合った人の関係に意外性を取り入れたりと、「どこかで見た話……」という感覚を起こさせないくらいの『新味』を加えていくことが必要です。
要するに何が言いたいかと申しますと、物語を考えようとしている作者が、その構図が既にある普遍的なものだと承知した上で、それを観る観客、視聴者、あるいは読者に、既にある普遍的な話だとは思わせないような要素を付け加えていくことが必要だということです。
すべての物語は、大なり小なり「どこかで見た……」という要素が含まれていますので、他者にそうは思わせないようにすることが、作者の『芸』と言えるのではないでしょうか。


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時事ネタ(痛みを伴うネタ)の扱い方 ~当然、今はコロナではない~

こんにちは。サロンの吉野です。
コロナウィルス騒動の中、お仕事や学校のことで、今は創作どころではない……と思っていらっしゃる人も多いのではないかと思います。
それでも熱心な人は、こういった時期だからこそ、創作をする絶好のチャンスだと考えている人もいらっしゃるのではないでしょうか。

そういった熱心な人の中に、今こそ、世の中を騒がせている「事」、「物」をネタに使って、創作をしようと考える方もいらっしゃるかと思います。
言わずと知れたことですが、今現在はどこもかしこもコロナウィルスの話題で一杯です。
それならば、多くの人が関心を持っているであろう、この"コロナウィルス"を使って、ネタを考えれば、賛同を得られると考えてしまう人も、少なからずいらっしゃるのではないかと思います。

しかし、これは当然のことですが、駄目です。
駄目な理由の一番は、今現在も、このウィルスによって、多く人が恐怖や不安を抱いているからです。
恐怖や不安の源になっているのは、このウィルスは、罷り間違えば、人の死に繋がる性質を持っていることでも明らかでしょう。
現在進行形で、人の恐怖や不安を煽る要素を持ってネタを使うのは、当然、エンターテイメントにはなり得ません。
エンターテイメントになり得ないものは、例えどんなに鮮度のあるネタでも使ってはいけないのです。
ここまでお話したことは、皆さんのほとんどの方は分かりきったことだとおっしゃるに違いありません。

それでは、話題になったこと、特に人が痛みを覚えるネタを、一体いつ頃になったら使えるのか?という疑問が起きるのではないかと思います。
これには、はっきりとした答えはありません。
ただ、一つだけ言えるのは、多くの人が、そのネタになった出来事を冷静に思い返すことができる時期であり、そして、多くの人が、それが原因で負ってしまった体や心の傷が、完全とは言えませんが、癒えてきた時期……になるのではないかと思います。
つまり、これは作者、創作者の判断によるところが、非常に大きいといえます。
ゆえに、その判断は慎重にならなければなりません。
要するに時事ネタ(痛みを伴うネタ)を扱うことは、創作者にとって、大きな責任を伴うものなのです。
そういった点を考慮に入れながら、日々ネタ探しに勤しんでいただきたいと思います。

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コロナウィルスによるゼミナール休講について考える

こんにちは。サロンの吉野です。
今日は本来であれば、ゼミナールのある日です。
先月25日に、この1、2週間が感染拡大を防ぐ最大の山場ということで、断腸の思いで、第1週のゼミナール休講を決断しました。

決断に至ったのは、サロン会員の方々をウィルスから守ることが最大の理由ですが、もう一つ大きな理由があります。
それは、このウィルスが原因で起こる「差別」や「偏見」という感情を、創作交流サークルサロンには、絶対に持ち込ませないためです。

ウィルスに感染しようと思って感染する人は誰もいません。
ほとんどの人は、何も落ち度がないのに、運悪く感染してしまうのです。
ただ、最近の世の中を見ると、咳やくしゃみをしているだけで、白い目で見られます。
その事が原因で、ケンカをして怪我をし、血を流している人たちもいます。
本末転倒です。
花粉症の季節も重なって、本当に居たたまれない思いをしている人が、たくさんいるのではないかと思います。
ウィルスの悪い点は、感染によって健康を損ねるというだけではなく、その感染が原因で、要らない「差別」や「偏見」を生んでしまうことにあります。
私は本当に怖いのは、後者の方だと思うのです。

従いまして政府や専門家会議が言うように、この1、2週間(2月25日起点で)で検査体制が大幅に拡充したり、感染しても大事に至らないような特効薬が市中に出回るなどの、要らない「差別」や「偏見」を招くことのないような『ある程度の変化』があることが、ゼミナール再開の指標になるかと思います。

とにかく政府には、当初からの発言の通り、2月25日起点での1、2週間で、この『ある程度の変化』をお願いしたいと思います。
そして次のサロンゼミナール日である3月19日(木)までに、何とかそれを達成していただきたいと、切に望みます。



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