シナリオコンクール対策の創作交流サークル「サロン」

シナリオコンクール対策の創作交流サークル「サロン」は、シナリオ公募コンクール受賞のためのノウハウを徹底的に追求していく唯一無二のサークルです。

"オモシロセンサー"を維持し続ける

こんにちは。サロンの吉野です。
先日に記事にしました『白い巨塔』が、昨晩から五夜連続で放送され始めました。
第1話を観まして、記事でもご紹介したように、普遍性のある人間ドラマは健在であると感じました。
その一方で、何度も何度も同じ展開のストーリーを観てしまっているので、ハラハラドキドキするという新鮮な驚きは、当然ですがありませんでした。
それはリメイク作品の弊害でもあります。


このようなリメイク作品における一般的な感慨とは違って、この十年くらい、エンターテイメント作品の何を観ても、若い頃のような感動が湧き起こらない自分を感じています。
それは過去の作品を観ても、新作を観ても同じです。
私はこの自分の症状を『オモシロ感度』、もしくは『オモシロセンサー』の欠損だと言っています。


経験が災いする
確かに五十代半ばを過ぎた人間ですので、あらゆる面でそこそこの経験値があります。
その経験値が、例えそれが初めて見るものであっても、「どこかで見たことがある……」という感じになるのかもしれません。
それはエンターテイメント作品を観ていても同様です。
「この話、過去の何かに似ていない?」とか、「そんなのやり尽くされているよ」など、新作と言われるものでも、どこか冷めた目で見てしまうのです。
脚本家を目指し、現在もそれに関わる仕事をしているので、エンターテイメントへの知識は、一般の人よりも豊富であることは間違いありません。
その知識が悪い方へ作用しているのも解っています。
ただ、慢性的にエンターテイメント作品を観ていて面白い!と感じられない自分の感度には、焦りにも似た気持ちがあります。


サロンのゼミには大きな可能性がある
私のオモシロセンサーの欠損については、更なるエンターテイメントへの好奇心の喚起など、自分自身で克服するしかないのですが、ただひとつ、サロンの会員の皆さんの発表には、鈍くなったオモシロセンサーを、いつも揺り動かされています。 


例えば、映画やテレビドラマなどの実際に映像化された新作を観ていても、あまり心を動かされることが少ないのですが、サロンのゼミでの発表には、「これもしかしたら、物凄く面白くなるかも!」という具合に、ざわざわと気持ちを揺り動かされることが、非常に多いのです。
ただ、残念ながら、どの発表も映像化されることは極めて可能性が低いですし、その前にアイデアは凄く良いのに、肝心の作品化するときの会員の皆さんの力量不足も否定ができない面があります。
したがって、せっかくのネタを活かしきれていません。
しかしそれは、荒削りな面を直したり、総合的なシナリオの技術を高めていけば解決する問題だと思います。
とにかくサロンの会員の皆さんには、私の鈍くなったオモシロセンサーの針を動かしていただきたいと思っています。
それがたぶん、私のオモシロセンサー欠損に、一番効果のあるリハビリになると思うのです。



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