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エンターテイメント作品で友情を描くことの難しさ 

こんにちは。サロンの吉野です。
昨日はゼミがありました。
いよいよ締め切りが、一ヶ月とちょっとに迫ってきた創作テレビドラマ大賞のあらすじと本文の発表で、いつものようにゼミは盛り上がりました。
その発表の中でも一番盛り上がり議論になったのは、「男女の関係の中での恋愛感情から友情への変化」についてです。
いつものようにコンクールのネタに関わることですので、詳しくはお伝えできないのですが、発表された方は、その変化をテーマにしていきたいとのことでした。


映像エンターテイメント作品で最も難しい恋愛から友情への変化
人と人の絆を言葉で表現するときに、愛情や友情という文字を使います。
親子の愛情、夫婦の愛情、恋人同士の恋愛感情、そして友だちへの友情などなどです。
これらの「情」の中でも、映像エンターテイメント作品で描くのが一番難しいのは、「友情」だと、私は思います。
さらに難しいのは、男女の友情です。
私が尊敬している脚本家の山田太一さんが書かれたものに『友だち』(1987年)という作品があります。
この作品は男女の友情を描いた作品なのですが、作品が載っている脚本集のあとがきに興味深いことが書かれていました。
当時、山田さんは絶対に男女の友情はあるはずだ!という思いで、作品を書き下ろしたそうです。
しかし、この作品で男女の恋愛を演じなければならない当の出演者の皆さんは、一様に「男女の恋愛なんてありませんよ」とかなり否定的だったそうです。
山田さんは、「そうかなあ……? あると思うだけどな……」と、少し迷いが起きつつも、作品の完成を待ったそうです。


このように男女の恋愛を描く、特に映像エンターテイメント作品で描くのは、古今東西、非常に難しいことだと認識されています。
男女の友情の表現を、どう演出したらよいのか?と、まず監督、演出家が頭を痛めるでしょうし、なんと言っても、役者さんがこの難しい感情を表現するのは、相当な演技力を持ってしても難しいのではないかと思うのです。
『友だち』に出演されていた俳優陣が否定的だったのも、別の意味で頷けるのです。


主人公の成長変化を描く際のテーマに男女の恋愛感情から友情への転換
昨日のゼミで議論になった発表をされた方は、男女の恋愛感情から友情への変化をテーマに作品を仕上げたいとおっしゃっていました。
ただ、男女の友情だけを描くだけでも難しいのに、恋愛感情から友情へ変化させるのはコンクール、特に創作テレビドラマ大賞のような尺で描くのは、かなり困難なのではないかと指摘させていただきました。
もちろん山田太一さんが興味を持って作品までに仕上げたものですので、いつの時代でも、ある意味普遍的なテーマであることは間違いと思います。
ただ、これを説得力を持って表現していくのは、並大抵の脚本の技術で追いつかないと思います。
脚本集のあとがきに、『友だち』に出演された俳優の方たちの言葉として、こんなものがありました。
「男女の友情って、男と女、どちらかが我慢して成り立っているんだよね」と。
昨日のゼミが終わり、会員の皆さんとお茶を呑んでいるときに、全く同じ会話が聞こえてきました。
「結局、どちらかが我慢しなければ、男女の友情はない……」と。


私は最後にわからなくなってしまいました。
やはり男女の友情は、初めからないんじゃないかということを……。



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