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リメイク作品量産の代償(続)

こんにちは。サロンの吉野です。
前回の記事の続きで、今回は視点を変えて、リメイク作品のあり方についてお話していきたいと思います。


前回の記事で、オリジナル作品公開から間もない時期に、リメイク作品ができてしまう現状について述べさせていただきました。
それは、各国によるグローバルな視点の欠如なのではないか?という持論です。
今回は、オリジナル作品とリメイク作品の質や内容の違いそのものに焦点を当ててお話したいと思います。
今回の記事も、私見満載になると思いますので、繰り返しご容赦をお願いいたします。


オリジナル作品とリメイク作品を比較研究するために、日本と韓国双方でリメイクし合っている2本の映画をご紹介したいと思います。
さまよう刃』という作品と『八月のクリスマス』という作品2本です。
主に両作品に登場する人物の感情である「昂揚」と「抑制」など、その説明の仕方の違いについてお話していきたいと思います。
シナリオコンクールの審査でも、登場人物の心情描写については、大きな対象になりますので、参考にしていただければと思います。



さまよう刃』に見る心情描写の違い
東野圭吾原作の『さまよう刃』は、オリジナルの邦画版が2009年に公開され、その5年の2014年に韓国でリメイクされました。
娘と二人きりで暮らしていた父が、娘がレイプされた上に、ぼろ布のように殺されたことで、犯人である未成年の少年たちに復讐していくという、いたってシンプルなストーリーです。
東野圭吾の『手紙』という作品では、犯罪加害者の家族の悲劇というテーマを描いていましたが、『さまよう刃』は、その逆で、犯罪被害者の遺族の悲しみを描いた作品です。
日本のオリジナル版も韓国のリメイク版も、娘を殺された父親の悲しみは、とても上手く描けていたと思いました。
特に、それぞれの作品の主役である寺尾聡さん、チョン・ジェヨンさんの好演が光っていました。
身震いするくらいの怒りの感情を、抑制の効いた芝居で演じ切った寺尾さん。
一方、娘を殺された父親の慟哭を、ストレートな表現で演じたチョンさん。 
どちらも役者さんとして、素晴らしいと思いました。
ただ、日本映画と韓国映画の比較で、よく語られていることですが、同じ原作の同じキャラクターにも関わらず、感情の昂揚と抑制の表現の仕方が、ここまで違うのは、役者さんの個性というより、やはり両国の国民性の違いなのでしょうか?
話を『八月のクリスマス』に移させていただきます。


八月のクリスマス』に見る監督ホン・ジノの演出
八月のクリスマス』のオリジナル版は、1998年、ホン・ジノ監督により韓国で作られ、公開されました。
その7年後の2005年に、シンガーソングライターの山崎まさよしさん主演で、日本のリメイク版が作られています。
日本版のタイトルは、『8月のクリスマス』になっています。


病気で余命幾ばくない男性と、少し歳の離れた女性とのプラトニックな恋愛を描いた作品です。
こちらも、いたってシンプルなストーリーといえます。
オリジナル版、リメイク版どちらも切なさという点では、とてもよく出来ている作品だと思います。ただ、心情描写として、昂揚感を表すシーンと、抑制を効かせるシーンの使い方が、『さまよう刃』とは反対、つまり韓国オリジナル版の方が抑制が効いていて、逆に日本版の方がストレートに見えてしまったのです。
これはどういうことでしょうか?
もちろん、韓国オリジナル版の中にも、いわゆる韓国らしいストレートな感情を表すシーンはあります。
日本人が真似するのは難しいと思うくらいの感情を剥き出しにしたストレートな芝居もありました。ただ、全体を通して、落ち着きのある抑制の効いた芝居になっていたのは、明らかに韓国オリジナル版でした。
最初に韓国版を観た私からすると、日本版の方は「そこまで登場人物の心情を説明しなくてもよいのに……」と思うくらい、感情に訴えかける場面が多いように思いました。
悪い言い方をすれば、説明が過ぎるシナリオになっていました。


結論からすると、私としては、オリジナル版、リメイク版それぞれのお国の国民性などが現れることは確かではありますが、詰まるところ、それぞれの創作者の作品に対する、また登場人物に対する解釈の違いなんだということに気づいたしだいです。


今回も、私の独断に満ちた考えに長くお付き合いいただき、感謝を申し上げます。



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