シナリオコンクール対策の創作交流サークル「サロン」

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ファンタジーを描くときは、作品の背景に「リアルな現実」がなければならない

こんにちは。サロンの吉野です。
ファンタジー要素の強い映像作品が多い昨今です。
この現象はコンクール応募作品にも言えることではないでしょうか。
素人(コンクールに応募している人たちを指します)の人たちは、作品に何かインパクトを与えるために、あえて非現実的な設定を取り入れようとするようです。
しかし、ファンタジーを創るには、それなりの理由があることを、コンクールに応募する方々には知っていただきたいと思います。
ただ単に、客寄せ効果を狙って、目を引きやすい設定を創るわけではありません。
以下、私見も混ぜながら、ファンタジー要素を取り入れる『必然的』について述べたいと思います。


現実の厳しさを描くために、あえて現実ではない世界を描く
「現実」があまりにも過酷だったり、目を背けたくなるような状況だったりすると、人間は本能的にそれを回避しようとします。
そんな状況のときに、「こんな理想的な世界だったら良いのに……」という現実とは真逆な世界を創造することがあります。
まさに空想、幻想に浸ることです。
つまり本来ファンタジー(空想、幻想)とは、「現実」の厳しさがあって初めて、人間の心に宿る感覚、感情なのです。
もちろん過酷な状況ではない場合でも、人間は空想、幻想を抱きます。
例えば、SFファンタジーなど、未来に出来ること、起こることを、まだそれが達成されていない時代に描くなどです。
そんなときの気持ちとしては、「こんな物が早く生産された良いのにな……」とか、「こんな乗り物ができたら、速く移動できるのにな……」などの前向きな願望といえます。
ネガティブな感情、ポジティブな感情どちらにしても、「今の状況・現実」があって初めて、ファンタジーが生まれるのです。
タイトルにさせていただきました「リアルな現実」とは、このことになります。
したがって、ファンタジー要素のある作品を創りたいと思っている人は、その背景にある現実から目を背けないようにしていただきたいのです。


超常現象=ファンタジーではない
今回はシナリオコンクールに応募される方向けにお話させていただいたのですが、背景にリアルな現実がないにも関わらず、ファンタジー要素を取り入れている作品は、プロの現場でも、実は非常に多くなっているように見えるのです。
いわゆる荒唐無稽だけが売りになっているような作品です。
そうした作品の多くは、超常現象を見せることで引きを作っています。
そして、そういった作品を「~ファンタジー」のような呼び方で宣伝します。
一つ言っておきたいことは、「超常現象=ファンタジーではない」ということです。
例えば、不朽の名作とされる『ローマは休日』は、紛れもなくファンタジーだと思います。
しかし、そこに超常現象は一切起こりません。
「雲の上にいると思われている某国の王女と、一介の新聞記者が、たった一日、恋に落ちてしまったらどうなるのだろう……」という作者の空想、幻想がこの物語の核になっていることは間違いないと思います。
異論はあるかと思いますが、寅さんが出てくる『男はつらいよ』だって、私はある意味ファンタジー作品だと思っています。
風の吹くまま気の向くままに生きている寅さんは、反面教師的な役割とは別に、「私(俺)もこんな生き方できたら良いのにな……」という一種の理想像でもあると思うのです。
つまり『ローマの休日』にしても『男はつらいよ』にしても、現実には中々成し遂げられないことを、空想、幻想の形で成し遂げてしまうことを、ファンタジーと呼ぶのではないかと、私は思うのです。
とにかくファンタジーを創る前に、皆さんの中にある「現実」に、しっかりと目を遣って創作に励んでいただきたいと思います。



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