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サスペンスに「殺人」は必要なのか?  サスペンスにとっても、ミステリーにとっても、物語上必要不可欠と思われる「殺人事件」について考える

こんにちは。サロンの吉野です。
昨日はゼミがありました。
徐々に締め切りが近づいていますテレ朝コンクールのお題「サスペンス」を想定した100文字ストーリーの発表が中心になりました。
ゼミの中で話題になったのが、「サスペンス」には、いわゆる『殺人事件』が必要なのか? それとも不必要なのか?という点です。


従来の作品では、圧倒的に「殺し」が入っているものが多い
以前の記事(※『ミステリーとサスペンスの違い』✏サスペンス)で、サスペンスと呼ばれていても、実はミステリーの色が非常に強いものが多いことをお話しました。
ただ、ミステリーというジャンルと、サスペンスというジャンルを区別して描いたとしても、両者ともに「殺人」もしくは「殺人事件」を扱うものが非常に多いことは間違いないと思います。
例えば、サスペンスの範疇に入る「ホラー」や「アクション」などでも、人間が死んだり、殺人のような事件が起きるのが普通です。
むしろ、そういった事件などが起こらないものを探すほうが難しいくらいです。
要するに、ミステリーにしてもサスペンスにしても、人間にとって究極の障害であり、最大の葛藤である「死=殺人」を素材に使う制作者が多いということになるのでしょう。
社会派ミステリーのパイオニアである松本清張氏に『眼の壁』という作品があります。
氏は、いつも殺人ばかりのミステリーを描いているので、この作品では、殺人ではない事件を描こうと当初は思ったそうです。
つまり殺人などを扱う捜査一課がメインではなく、詐欺などを扱う捜査二課を中心としたプロットを作られました。
ただ、捜査二課の話だけでは、どうも物足りない……という気持ちが芽生え、結局、この 『眼の壁』という作品は、捜査二課に始まり、最後はやはり殺人が起こって、捜査一課で終わる……という展開にしたそうです。
ミステリー、推理小説の大家である松本清張氏も、「殺人」が起こらないものは、なんとなくエンターテイメントとして物足りないという思いがあったのです。
それでは今回のテレ朝の「サスペンス」でも、やはり「殺人」は本当に必要なのでしょうか?


「殺人」にこだわる必要は無い……と思う
これはあくまでも私見ですが、無理やりに殺人事件を入れる必要は無いのではないかと思います。
むしろ、従来の「どこかで観たようなサスペンス、ミステリー」よりも、本来のサスペンスの定義であるハラハラドキドキさせることを前提に、殺人ではない究極の障害、葛藤を考え出したほうが、審査員的には嬉しいのではないかと思います。
いずれにしても、型にはまったサスペンスをなぞることだけは、避けたほうが良いのではないかと、私は思いました。



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