シナリオコンクール対策の創作交流サークル「サロン」

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ストーリーを作るためのネタ探しではなく、ネタがストーリーを作るということの意味

今晩は。サロンの吉野です。
前回の記事、コーンゲームの話の続きです。
書き忘れてしまったことがありましたので、付けたしさせていただきます。
コーンゲーム映画の名作として、海外の映画をいくつか例にあげましたが、実は日本の映画にも、名作と言える作品があったのです。
カラスの親指』という作品です。
コーンゲームの作品なので、内容について一切お話しませんが、コーンゲームとしての出来の良さは言うに及ばず、日本人が好きな「人情」の部分も入っていて、それがプロットの面白さと上手くリンクしていた点が秀逸でした。
是非ともご覧いただけたらと思います。

タイトルにある今回の本題に入ります。
今日はゼミがありました。 
本日のゼミも、創作テレビドラマ大賞に向けての発表や、城戸賞をターゲットにしたあらすじの発表など、実りの多い内容のオンパレードでした。

ゼミを行っていて、会員の皆さんの発表を聴いているときに、いつも感じることがあります。
このストーリーのネタは、このストーリーを作るために、このネタを探してきたのか?
それとも、描きたいネタが先にあって、それをストーリーという形で発表するためなのか?
何か禅問答のような話になってしまい、恐縮なのですが、このブログをお読みの皆さんにも、考えていただきたいことなのです。

以前の記事で述べたことに、「ストーリーを考える前に、まずは関心のあること、ものを見つける」というものがあったのを覚えていらっしゃいますでしょうか。
ストーリー、つまり話の筋から考えてしまうと、その話に合わせるために、エピソードやモチーフとなる素材を見つけにいくようになります。
そして、その見つけたエピソードや素材は、ストーリーのために「ご都合よく」使われてしまうのです。
何か悪いかということは、皆さんもうお分かりだと思います。
「ご都合良く」使われるエピソードや素材には、必ずといってよいように破綻が生じるからです。
一度破綻が生じてしまうと、それを修正するため、さらにご都合のよいものを考えてしまいます。
その繰り返しは、複雑に縺れた糸をほぐすようなものに違いありません。
結果、収拾のつかないストーリーになってしまうことにもなりかねないのです。

皆さんのほとんどの方は、物語を紡ぎたい、ストーリーを作りたい、という思いで、シナリオを書こうとしています。
ただ、ストーリーからスタートしてしまうと、大半の方々は、意識しているしていないに関わらず、「どこかで観たような話……」を書いてしまいます。
このことも、以前の記事で指摘させていただきました。

とにかく斬新なストーリー、どこにもないような物語を書きたいのであれば、ストーリーから考えないことです。
それではストーリー、物語を書く人が一番先に考えなければならないことは何か?
それはストーリーの元になるネタ。素材から考えるべきだと思うのす。
「ストーリーを作るためにネタを探すのではなく、作者の関心があるネタ(もの、こと)を世に知らしめるためにストーリーを作る!」
これを実践していけば、少なくとも「ご都合のよい」話にはならないと思います。



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